どの経典のどの部分が盲目的かは、個人的な感情を 招いてしまうので、具体的には書かないが、
ある経典は>かなり偏った内容がみられるようだ。
このような経典(聖典)は、古代から神や信仰は口伝によって>その後 紙に書き写された。
いまでも写本家という職業も存在するが、、昔はその写本家に文字を認識できない人わざわざ選んだのだそうだ。
その理由は、教会などの権威が、神の力や力のある言葉が外に漏れないように意図されたケースも多く、誤って書き写され>聖典の意味が間違って写本>解釈されるケースも多いのだそうだ。
したがって、聖典の内容が世の中がよくなるための教えではなく、宗派や少数民族に都合のいい傲慢な内容が明記されてしまう場合もあったと思う。
これほど宗教間での紛争が多いのには、少なからず聖典の書き損じがある場合が否めず>
聖典をうのみにする、盲目的信仰は、世の中をますます混乱させていくに違いない。
自分と相手の違いを認め、尊重する。
相手に迷惑がかかる行動を取らない。
そいいう世界であれば、紛争や宗教間の問題は起きない。
聖典イコール信じるということは、非常に危険であり個々に慎重に確認しなければならない。
この聖典を盾に暴力行為や破壊行為が世界で起きている。
破壊の神が存在するという考え方もあるが、一部の勢力においては大きなスケールで非人道的な行為は今も続く。
その勢力は日本にも影響を与え、さまざまな手段で攻撃を与えている。
基本的な常識が存在しない世界に私たちは住んでいることになる。
そのような危険な世界で、私たちは生き延びていかなければならない。
問題が収束しない理由には>
このような、宗教的観念といわれる偏った考え方があるのではないだろうか?
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