2010/03/01

保原高校を受験した思い出。

私は保原高校を受験しようと思った。

家から自転車で25分の距離にある。

今から何十年前にもなる。 その当時保原高校は、東高もなく一応進学高校だった。

中学3年の進路指導では、保原高校はギリギリで、梁川高校を勧められた。

中学にはいって、「英語」という新しい領域に興味を覚え、机に向かうようになった。

親に勉強しないといわれたことは、ほとんどない。

でも、数学はあまりで成績がよくなかったので、塾にいかされた。

元校長先生のところへ、木曜日にいくのだ。

何とか中学数学はクリアした。

なぜ、保原高校に行きたかったかというと、このまま洋品店の跡継ぎになるまえに

「キャンパスライフ」を味わいたかった。

大学生同士が5対5でお見合いするTV番組があった。

フィーリングカップル5VS5がそれだ。

楽しそうに盛り上がっていることが、あこがれだった。

受験の動機は不純である。

子供の頃から母親にお前は「跡継ぎ」という洗脳から、抜け出したかったのかもしれない。

梁川高校では進学、いや東京のキャンパスライフを満喫できるCHNCEが、消えてしまうのだ。

だから叔父さんや、いとこに協力を求め どうしたら成績が上がるかアドバイスをもらった。

何とかギリギリでボーダーラインをクリアし、合格できた。

テニスにあけくれ、授業も聞いていなかった。

面白いことにあれだけ逃げ回っていた数学や物理、化学などに最近興味が出ていた。

バウンドテニスは物理学だし、量子力学は哲学にも通じる、食べる野菜などのビタミンは栄養学だし

指導要領の変えてほしいものである。

そういった意味では「先生」「医師」「実業家」という夢もかなえられたかもしれない。

過去の羅列では、構造上の夢しか叶わないのである。

高校の話に戻る。

もう校歌忘れかけている。ホコウつながりで知り合いも多い。

滑り止めも考えず、よく合格したものである。


今日甥っ子が高校を卒業した。

チッチャかったのに、身長は私に並んだ。

高校の部活はラグビーを選んだ。

友達もたくさんいて勉強もそこそこできるらしい。

まもなく大学合格発表を迎える。
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