2010/06/30

台所の環境を変えること。



これが出来そうでなかなかできない。

食に対して人間は、変化を好まないようだ。

人間の体はどんな材料で出来ているか?

体は毎日の食事、食べ物からできている。

体を細分化すると、筋肉や臓器によって成り立つ。そしてそれは一つ一つの細胞から成り立っている。

体質は、細胞の質という医学博士もいる。

要するに食事で細胞の質、「体質」が決定する。

たんぱく質を取らない型は、細胞が膨れ上がり脂肪で覆われた体になってしまう。

自分自身の体は、鏡に写さないと見えない。

まして、体の中を覗くこともできない。肉体は小さな細胞から、複雑にしかも繊細に作られている。

そんな単純なことを私は、15年前まで知らなかった。

なぜ健康や栄養学に興味があるかというと、こんなエピソードがある。

私のおじいさんは、虚弱体質であった。

大家族を守るために、自分の体の体質を変えて 健康にならなければならない理由があった。

私の父も野菜や、薬の怖さ、栄養素の情報には敏感である。

血筋なのか、私も食や水について研究をしている。

専門的だはないのだが。


さらにもっと不可解な働きをするところがある。

それは脳みそだ。

行動を指令する頭脳は、謎に包まれている。

意欲や行動はどういうメカニズムになっているかに、私は興味がある。

情報は人間を突き動かす。

感情は情動は目に入るもの、イメージするもので動かされることを、最近まで知らなかった。

脳みそにも、POSITIVEな情報という栄養素がほしいのだ。

しかも今までの経験や知識をもとに「目の前の情報」が解析され、やるかどうかを判断する。

「いいにはわかるんだけど~」ということは、よくあることだ。

新しい事は はじめても、2週間と続かない。

新しいものを脳に取り込むことは、脳にとって非常に厄介なことらしい。

ダイエットや変えるべき癖は、過去の適正化で、ゴミ箱に捨てられ消去される。

目の前で起きることでさえ、」感じ方は人それぞれ違う。

また現在、「続けていると」、「過去にやったことがある」はまったく次元の違うことだ。

記憶は刻々と変化し、違うものに翻訳してしまうのだ。


何がいいたいかというと、できるのにできないと思ってしまうのが人間らしい。

体重も行動もコントロールすることは難しいと思いがちだ。

健康を手に入れる、行動的で心が楽~な状態を誰もが望んでいる。


だが近所の方で お年を召した方は健康について不安を持っている人が多い。

様々な要因が考えれれるのだが、疑問に思うことは仮説をたて検証する。

それには様々なケースを観察しないといけない。

自分はいつの頃からか食に対しての情報を取り始めた。

自分でも実践し、わたしは46さいになるのだが、健康についてまるで心配がない。

ありがたいことに、健康という財産を持っているのだ。

昨年は」、少し中性脂肪が高かった。

玄米で難関だった中性脂肪を撃退した。

昨年から8キロのダイエットに成功した。

食事制限はしていない。


学校教育ではカロリー計算はするものの、ビタミンやその働きを教えてはくれない。栄養士の試験でさえ、栄養素の欠乏の恐ろしさが、問題に出ない。(と思う)

驚くことにお医者さんでさえ、正常分子栄養学やビタミンが人体にどう作用をしらない。(と思う)。

ポーリング博士をはじめノーベル賞を受賞した理論は、治療医学を重視する医学会にかき消さされたのかもしれない。

マクロビオテックや昔から地域で語り継がれた薬草などの知恵は、古臭いものとして、取り入れる範疇にないようだ。

欧米ではビタミンを摂取するのは、映画にもある光景である。

アメリカでは70年ほど前から、植物に含まれる栄養素についての研究がはじまった。


いずれにしても地域活性化は、「自分の健康管理から」だと思っている。実践した人だけ、健康という財産を手にできる。

WHOの定義する、体の健康というに概念についてFOCUSしてみたい。

玄米のエピソード

私の叔父は、なかなか子供ができなかった。

そこで玄米食をはじめた。

黄色い繊維の含まれるものは、当初私にとって食べられる物とは判断できなかった。

叔父が玄米を始めたのは、今から20年以上前の話である。

その後、叔母は男の子と女の子を出産した。

叔父と叔母はそれ以来、玄米を続けている。

浄水器もきちんと取り入れている。

私は玄米食をはじめてまだ3ヶ月にも満たないが、玄米や豆類のPOWERに驚かされている。

大豆も一緒に玄米にいれ、炊飯器で一緒に炊き込む。

玄米は硬い皮膜に覆われているため、酸素と触れ合うことがなく、

新鮮なビタミンが摂取できる。一晩水につけておく準備場必要だ。

私は玄米食を始めて、次第に食欲や嗜好するものが変わってきた。

1.冷蔵庫に豚肉がなくても、平気になった。

2.ラーメンなど脂っこいものが、欲しいと思わなくなった。

3.塩分なども控えめな味付けで食べられるようになった。

4.食事制限せず、順調に体重がへっている。

5.便通もよく、母も同様に改善された。

6、饅頭やプリンなども、コンビ二で買わなくなった。

7.気分も爽快で、いろいろなものに興味がわくようになった。

8.白米をたべても、物足りなくなった。

9.腹持ちもよく、お腹がすくことがないから 以前と比べて

食に対して貪欲ではなくなった。

9.梅干やのり、煮干などがおいしいとかんじられるようになった。

これはあくまでも、私が玄米を食べた感想である。

もしこの玄米食が、現代人に必要な情報であればみんなに教えるべきだと私は感じている。

健康な人の義務は、そうでない人に心を配るべきではないかと感じてきた。

玄米食は、すべてではないし、それぞれの体調や食へのこだわりはある。だからすぐには受け入れられないことは、理解している。

そして健康な状態な人は、病気の方に感情を汲み取りながら食のアドバイスすべきなのだ。

我々は食べ物について、再教育を受けるべきなのである。

現代人の食の環境は、恐ろしくひどい状態にある。

コンビニ、肉食に偏った脂質の取りすぎ。缶コーヒーなどの自動販売機の環境。防腐剤、農薬、

殺虫剤、食品添加物、

劣化した土壌から栽培される、栄養価のない野菜。

長寿国である一方、日本は人口に対する寝たきりの割合が世界一なのだ。

私は医療や現代の食の現状を知らせたいだけだ。

私たちは食べるもの、その質までもこだわるべきだと思っている。

今日は玄米を2合、白米を1合、それにアズキを入れた。

一晩おいておく。

それから残念ながら、栄養価の高い野菜を水道水で煮炊きする。


水道水には塩素が含まれ、せっかく摂取しなければならない栄養素が破壊される事実を、誰もしらない。

私もそれを聞いて、水道水をも飲めなくなった。

私だけは大丈夫という、甘えがもたらした対価はおおきい。


誰もが毎日摂取する栄養素にこそ、体に機能を維持する働きがある。

逆に栄養素をすべてとらなければ、欠乏症という恐ろしい症状を引き起こす。

だから食についての情報は、命の情報とも考えられるわけだ。

何の野菜には何が含まれているかくらいは知っておきたいものである。


植物の栄養素がなければ、人間は生きてゆけない。

ダイエットや体調を維持、増進するKey Wordは、実はシンプルである。

野菜、水、玄米>>>あとは要らないかもしれない。

だが、人間は玄米を食べられない言い訳(創造的 アボイダンス)によって、自ら病気を選び取っているといわざる終えない。

だから一人ひとり、栄養について、食について学び教えあえばいいとおもう。

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