例えばテニス ミスしてしまってもそれを反故にしてなぜそれが起きたのかを認識しないように脳ができている。
もしテニスでもっと上達したいミスをしないテニスをしたいと強く願えば、その原因を探りどう体の使い方をすれば変えられるかを考えるはずだ。
スキルにしても同じことが言える。
自分の知識や経験を満足し、相手の気持ちや自分自身がどんな風な人間になりたいいかを考えなければ、自分が伝えたいことが伝わらない。
私はきちんと話を聞くことができたり研究の形に良い印象を持つ。
謙虚さというか謙遜と言うことがベースにないと 他人は自分のことを認めてはくれない。
ときには自分自身の行動や目的、その手段を第三者に聞いてもらい教えを乞うことも必要なのだ。
他人に何かを指摘されたときに腹立たしいと思う事は自分の弱さであり成長望んでいない証拠になってしまう。
なんか人生は面白い。
自分のポテンシャルよりもまだ空いている隙間を埋めるための何かを埋めて生きていくのだ。
そう感じられるといけないと言うものを感じるようだ。
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