牛乳の歴史
日本人だけでなく西洋人自身も、ヨーロッパではずっと大昔から牛乳が飲まれてきたと思っているが、それは事実ではない。
ヨーロッパで牛乳飲用が始まったのはわずか150年ほど前(1850年ごろ)のことである。
それ以前には、牛乳はバターとわずかなチーズを作るために搾られていたに過ぎない。このような歴史的事実は食品業界や牛乳業界にはマイナスなのであろう。
現在では欧米人の摂取エネルギーの30~50%を占めている酪農製品であるが、歴史的に眺めると、彼らはずっと長い間ほとんど牛乳製品とは無縁で生きてきた。
だから、酪農業界は真実の牛乳の歴史を無視し続けてきたのである。
以下の文章は、『Milch besser nicht(牛乳は飲まないほうがよい)』の著者マリア・ロリンガー(Maria Rolinger)が筆者に寄せてくれた英文要約を和訳したものである。
いかなる言語でも、ヨーロッパあるいは近東で牛乳の歴史について書かれた書物はない。
これは不思議なことだ。
パン、肉、魚、野菜などの主要な食物について書かれた本はいっぱいあるのだから。
北ヨーロッパで牛乳が主要な食品になったのはたかだか70~80年前の1920~30年頃のことでそんなに昔のことではない。
もちろん、それまでもどこの農村においても牛乳が搾られていた。
しかしそれは主としてバターを作るためであった。
農民はバターを作ったあとの酸っぱくなった牛乳からいくばくかのチーズを作っていた。
この田舎の情景がドイツの絵画に描かれている。
他のヨーロッパ諸国も同様だっただろう。
19世紀の後半になって牛乳が飲まれるようになってから、ドイツで牛乳が科学的に研究されるようになった。
その頃に牛乳に関する研究所も創られたが、牛乳の歴史を研究するものは誰もいなかった。
実際、語るに足るほどの牛乳の歴史はなかった。
牛乳はヨーロッパで主要な食品とみなされていなかったからである。
その歴史をたどろうとしても資料があまりにも少ない。
牛乳業界のパンフレットを眺めると、ヨーロッパでは古代からずっと牛乳が飲まれていたというような印象を受けるが、事実は異なる。
牛乳飲用がわずか150年ほど前に始まったに過ぎず、それまで牛乳はバターとわずかなチーズを作るためだけに搾られていたなどという事実は食品業界や牛乳業界にはマイナスなのであろう。
現在では摂取エネルギーの30~50%を占めている酪農製品であるが、ヨーロッパ人はずっと長い間ほとんど牛乳製品と無縁で生きてきた。
だから、経済界は食物の歴史、なかでも牛乳の歴史を無視し続けてきたのである。
さらには、ヨーロッパで牛乳の歴史を研究しようとするものは「牛乳批判者」という烙印を押されるようになってしまった。
最近になって、中世にラテン語で書かれた牛乳(バター、チーズ、ホエイ)の歴史に関する書物がヨーロッパの図書館で発見された。
これらの書物は英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語に翻訳されることになっていたが、翻訳の資金が得られなかった。
しかし、このうちの一冊がミラノの食品科学の教授によってイタリア語に訳され、さらにドイツ語に翻訳された。
この教授の結論は「中世では牛乳は健康に有害であるという考えが広がっていた」というものであった。
中世の医師は、いろいろな病気、なかでも「てんかん」のような精神病の原因になるからとチーズを食べることに警告を発していた。
バターは一部の人々の食品となる貴重な換金農産物であった。
チーズを作ったあとのホエイ(乳清)は下剤として使われるか豚や犬の餌になるか、あるいは単なるゴミとして捨てられていた。
16世紀になって事情が少し変わり始めたが、牛乳生産量は依然として低いままであった。
この頃の生産量は1頭当たり年間600kg程度であった(現在の1頭当たり牛乳生産量は6000~8000kgで、これを上回る国もある)。
さらに遡って、ヨーロッパとその周辺の牛乳の歴史を概観してみよう。 バターは化粧品だった エジプトとイランで、6000年前の乳搾りの絵が見つかっている。
乳搾りは牛や羊よりもまず山羊で始まった。古代ヨーロッパではギリシャとイタリアで乳搾りが行われていた。彼らは山羊と羊のミルクからチーズを作っていた。
牛は主として農地で耕作に使われていたからミルクを搾られることはあまりなかった。
牛から搾られたミルクはもっぱらバター作りに用いられた。それには理由がある。
牛乳は、哺乳類のミルクの中では唯一、脂肪球が簡単に分離する。搾った牛乳を広くて薄い容器に入れて放置すると、表面に脂肪が浮き上がる。
一日もその状態で置いておくと、そのまま取り出せるほどに大きなかたまり(クリーム)となる。
これをそのまま脂肪として使うこともできるが、水分を飛ばせば現在のバターになる。 山羊や羊のミルクでこんなことはできない。
だから、今ではどこを探しても山羊や羊のバターを見つけることはできないのである。
山羊や羊のミルクはそのまま飲むか、チーズを作るのがその利用法であった。
古代のギリシャ人やローマ人にもバターを食べるという習慣はなかった。
彼らはバターを食べるのは野蛮人の風習だと思っていたのである。
ギリシャ人やローマ人がバターを作ったのはもっぱら上流階級の化粧品として用いるためであった。
したがって、この当時のバター生産がどの程度の規模で行われていたか想像がつくであろう。
古代のエジプトやパレスチナでは牛乳から作ったバターを食用に用いていたようだ。
しかし、人間の歴史でみると、古代の動物脂肪の供給は微々たるもので、20世紀になってやっと潤沢に供給されるようになった。
地域によっては、牛乳を搾ってバターをつくるのは人間の生存に有利であった。
動物の脂肪を手に入れるのに大切な家畜を殺して肉と一緒に取り出す必要がないからからである。
したがって、牛乳からバターをつくったのは、オリーブの樹が育たない砂漠で遊牧生活を行っていた人々だけであった。
2000年あるいは2500年前にオリーブ油が生産されたのは地中海地方だけだった。ギリシャ人もローマ人も、オリーブ油がたっぷりあったから、牛乳からつくるバターを必要としなかったのである。
因みに、この地方ではオリーブ以外に植物油を生産できる植物がなく、パーム油は知られていなかった。
エジプトとパレスチナでは、動物脂肪と植物油の両方が食用に用いられていた。
遊牧生活を営むものは動物脂肪(バター)を、定住生活を営むものは植物油を用いていた。
インドと同じく北ヨーロッパでも牛は神聖視されており、牛を殺さずに脂肪が得られる乳搾りが盛んに行われていた。
この地域ではオリーブが育たなかったため、牛乳からつくられるバターが歓迎されたのである。
ただし、古代ドイツ人は牛乳からのバターの作り方を知らなかったようだ。
というのは征服者であるローマ人がドイツにおけるバターの存在を記録に残していないからである。
また、ギリシャ人が記録しているのは黒海周辺の人々が牛乳からバターをつくって食用にしているということだけである。
したがって、ギリシャ人とローマ人が食用にした脂肪はオリーブ油で、食べていた乳製品は山羊や羊の乳から作ったチーズであったと考えられる。
記録にはないが、古代ドイツ人でも牛乳から多少のカッテージチーズぐらいは作っていたことだろう。
牛乳は「食べるもの」 山羊や羊の乳搾りを始めたころのチーズのできはよくなかったが、今から2000年前ぐらい前のローマでよいチーズがつくられるようになったらしい。
硬いチーズが美味なデザートとして食後に珍重されるようになった。
もちろん、現在のヨーロッパほどに大量のチーズを食べたわけではないが、
上流階級では嗜癖ととられかねないほどにチーズが愛好されることもあったらしい。
チーズを食べ過ぎて死んだというローマ皇帝アントニヌス・ピウスの話が伝わっている。また、
古代ローマではハードチーズは運搬に便利だし数ヶ月も長持ちするというので兵士の食糧として重宝されていたようだ。
西暦800年頃になって中世に入ると、ハードチーズは修道院で山羊や羊の乳から作られるようになった。
アルプスの北ではもっぱら山羊の乳が用いられた。ここでは羊は羊毛と食用肉のために飼育され、乳搾りには用いられなかった。
しかし、イタリア、ギリシャ、南フランスでは乳搾りのためにも羊が飼育されていた。
西暦1100年頃のドイツでつくられたチーズはほとんど山羊乳チーズであった。
ドイツ薬草学の祖とされる中世の女子修道院長ヒルデガルト・フォン・ビンゲン(Hildegard von Bingen)は病気の治療に有効な草木に関する書物を著しているが、その中で(牛乳からの)バターを化粧品と位置づけている。
彼女がチーズと書くときは山羊のチーズを思い描いていた。
要するに、中世では牛乳は稀な存在だったのである。ドイツをはじめとする北方の地では牛は主として農耕に使役されていた。
なお、ヒルデガードは神経病に冒されたときにはチーズを食べないようにと注意している。事実、ある皇帝はてんかん患者がチーズを食べることを禁じる法律を公布したほどである。
食用として牛乳からのチーズの生産が始まったのは14世紀ごろで、広まったのは15世紀から16世紀にかけてのことである。
この頃になると酪農製品に関する書物がラテン語で書かれるようになった。この頃になって初めて、乳製品は医学界の主流が言うほど悪いものではないと主張する医師が現れるようになった。
牛乳バターの生産が多くなったことで、脂肪とチーズに関して、ヨーロッパを南北二つに分類できるようになった。
南ヨーロッパは相変わらずオリーブ油と山羊と羊のチーズが主体であった。
北ヨーロッパでは牛乳からバターをつくり、その残りから酸っぱくて臭いサワーミルクチーズ(現在のサワーミルクチーズと同じものかどうか判らない)が作られた。
このサワーミルクチーズは19世紀まで貧乏人の食べ物とされていた。
このチーズは現在のチーズではなく、牛乳の中に存在する微生物が低脂肪乳を固めたものである。
貧乏な農家はバターを金持ちに売り、自分たちはこのサワーミルクチーズかホエイチーズを食べていた。
修道院はチーズの製法を門外不出とし、従来の製法を堅く守っていた。
修道院のチーズは主として山羊乳からつくられ、低脂肪牛乳からつくられるサワーミルクチーズに比べて美味であった。
僧や尼はしばしばチーズに耽溺(たんでき)したから、院長は僧や尼にチーズを食べることを禁じなければならなかった。
一般人はこのようなチーズを口にすることはできなかったし、バターは金持ちの食べ物であった。 面白いことに、ホエイに相当する古いドイツ語はホエイ(乳清)を意味するのではなく、「チーズの水」を意味していた。
「チーズの水」はあるときはゴミ、あるときは動物の餌、またあるときは下剤として用いられた。
17世紀にオランダ人がドイツでバターとサワーミルクチーズの生産で商売を始めたとき、彼らは同時に豚を飼育して大もうけした。
「チーズの水」を与えると、豚は他の餌で飼うより速く大きくなったからである。
今にして思えば、「チーズの水」にIGF-Iやエストロジェンが含まれていたのだろう。
19世紀まで、ドイツ語にもラテン語にも「牛乳を飲む」という表現はなく、「牛乳を食べる」という表現があっただけである。
この頃まで、液体の牛乳は飲用食物と考えられていなかったからである。牛乳はバターにするか、サワーミルクにするか、コッテージチーズのようなものにして「食べて」いたのである。
さらに、19世紀までは牛乳の生産量が現在のようにキログラムあるいはリットルで表されることはなかった。
この当時の表現では「この牛は年間、たとえば50ポンド、のバターを生産する」というようにバターの出来高で表現されていた。
飲用牛乳の普及 液体の牛乳が飲まれるようになったのは1870年代になってからで、産業の発展が保存のための冷蔵技術と運搬のための鉄道建設をもたらしてからのことである。
どんなことでも新しい習慣は金持ちから始まることが多い。19世紀の終わりになって、都市に住む金持ちが農村から牛乳を求めるようになった。
豊かな階層の人々でも都市で広大な敷地をもつ一戸建ての家に住むことはなくなったから、自宅で乳搾りをしてバターやチーズを作ることはできなくなった。
都市は埃っぽく見知らぬ人ばかりだ。豊かな都市住民は、かつて自分があるいは祖先が住んでいた清らかでなんでも自給できた農村の生活に憧れをもつ。
都市住まいであっても少しでも昔の生活をとり戻したい。牛乳も欲しかった、それがいかに高価であっても。
最初は牛乳を飲むという習慣はなく、バターを調理に使いサワーミルクを食べていた。家庭に液体の牛乳が持ち込まれるようになると、彼らはその液体そのものを口にする(飲む)ようになった。
20世紀になって初めて液体の牛乳が飲み物として認識されるようになり、牛乳を飲むことが習慣となった。
しかしその量はわずかであった。 農村の人々は相変わらず、液体の牛乳を普通の食品とはみなしていなかった。農村の人々が労働者として都市に移り住むようになっても液体の牛乳を飲むことはなかった。
彼らが望んだのはバターであったが、それを購う余裕がなかった。都市では、バターは金持ちの食べ物となっていたからである。
貧乏人のバターとしてマーガリンが考案された。このマーガリンは牛乳ホエー(乳清)に乳牛の体脂肪(タロウ)を混ぜ合わせたものだった。
19世紀の終わりに、コレラ、結核、ジフテリアなどの伝染病が流行し、都市では何千人も死んだ。
死者は貧乏人だけでなく金持ちにもおよんだ。死者は液体の牛乳を飲んだものに多かったから、医者は飲み水の汚染だけではなく、牛乳も汚染源であると考えた。
そのため、上流階級の間には生の牛乳は危険だという考えが広がった。 そこで、牛乳の加熱処理が始まった。
しかし加熱された牛乳は不味いという理由で金持ちにも貧乏人にも評判が悪かった。生の牛乳は病原体を運んでくるし、病原体を加熱して殺した牛乳は不味い。
上流階級の牛乳に対する考えは揺れていた。
第一次世界大戦が終わった1920年代から30年代にかけて、政府と業界が牛乳は万人にとってよい飲み物だという宣伝を強力に繰り広げるようになった。
この宣伝で牛乳の飲用が広まった。第二次世界大戦が始まるまで牛乳の消費は拡大し続けたが、それでも現在の消費量に比べるとずっと低かった。
バター、自家製のサワーミルク、少量のチーズが当時の食卓にのぼった牛乳からの主たる乳製品であった。ヨーロッパで牛乳・乳製品の消費が今のように多くなったのは1950年以降のことである。 戻る
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