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実際起きたことと事実は違っても、繰り返し見聞きすれば、それを本当のことだと思い込まされてしまう。
問題点、欠点や事故などの報道は、わたしたちの意識がそれに向かうように仕向けられてしまうとしたらどうだろうか?。
わたしたちが住む地球は、闇の武器商人や資金力のある企業によって、環境や安全がおびやかされている。
地球がよごれ、真実が明かされない社会において、わたしたちは事実を正確に把握し選択してゆかなければいけない。
わたしは日本という国において問題点ばかりが提起され、何の手だてもないという暗示にかかっているような気がする。
原爆という悲惨な歴史が起きたにもかかわらず、わたしたちは利便性という甘い言葉にだまされ、原爆と同じ様な仕組みでの発電を容認してしまった。
今回の福島の事故は、世界中に原子力発電のありかたを、問うている。
極論を言えば、原子爆弾が原子力発電という形に変えられ、世界中にばらまかれいるという見方もできるのだ。
また目には見えない恐ろしい暗示というものがある。
「否定的な思い」は、悲惨な結末を生む。
人間は自分の内面の恐怖や心配を、誰かに求める傾向があるという。
要するに問題点を誰かに責任転嫁してしまいがちだ。
何を望むか?
それを強く思えば、解決策はきっとあるはずだ。
「それはできない。」と社会がいうのなら、「わたしは、何度でもそれはできる」といい続けるだろう。
気高い理想を持ち、思いをまいてゆく。
未来の地球のために・・・。
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