私は粘り強いかどうかはわからいが、
興味を持ったものに関しては続けたいという気持ちが強い。
継続には理由がいる。
たとえば、私がやらなければ、世の中がよくならない。
私が行動をとらなければ、世の中の人が困る。
俯瞰した真理は、無意識から行動の情報が下りてくるようだ。
危険にさらされている事実があれば、周りの人に教えなけれならない。
また、私たちは世の中がどんな仕組みになっているか?
目の前に起きた事実から、内在している自分の本質を吟味しなければならない。
自分の利益のみを追求したとき、真実は捻じ曲げられ恐ろしい世界を作りあげてしまう。
過去において高度な文明の消滅は、「自分さえよければという思い」が強かったからに違いない。
あるべき未来を描き、そのビジョンにマッチしないフレームワークは消滅するが、
長年継承されてきた、観念は非常に強固だ。
「 自分と相手は違う。 」
そういった排他的思考は、ますます紛争を泥沼化させる。
先日読んだ本で、不満の延長線上には、精神的疾病を引き起こすリスクが高まるのだそうだ。
メディアはこぞって、恐怖と不満を煽り立てる。
そのわかりやすい罠にはまってはいけない。
個人の小さな行動には劇的な変化は見られないが、
思い深さとその繰り返しは間もなくそのターニングポイントを迎えるに違いない。
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