犬にパソコンを教える。
まったく興味を示さない。パソコンは犬にとるって興味のないことらしい。
これは教育の分野についてもいえると思う。
昔、教室は青空のもとで行われていた。
一つのテーブルを囲み、みんなでワイワイ教えあっていたそうだ。
いわば誰もが先生で、誰もが生徒だ。
ティーチングというスキルは、教える側にとってとても学習効果が高いという。
相手の教えながら、自分も学ぶのである。
統合学習や加速学習は、このような雰囲気で行われている。
双方向で意見を交換し、先生は生徒が発言するのに合わせ質問をする。
実際に教える側と学ぶ側は、対等な立場が理想だ。
日本で行われている、画一的な学習にはわたしは疑問を持っている。
教えること学ぶことは、一言で言うと文化的背景が大きいようだ。
個人学習の場合、わたしは面白い体験をしている。
何か本を読む場合、これも知りたいあれも読みたいと、私は本をかき集め机は本で埋め尽くされる。
目的を持って書物に向かう場合、超能力者でない限り一度に数冊は読めない。
机に持ち込んでいいのは1,2冊であろう。
私は何でこんな行動を取るのかが、疑問だった。
学習する場合、集中できない原因を観察するといいのだそうだ。
何を感じて、どんな行動を取ったのかノートに書き留める。
何気なくとる行動を分析すると、自分で自分の行動を邪魔していることに気がつく。
だがこの「逃避行動」は誰もが経験することらしい。
資格や簡単な文書も、いわば自分にとってはなじみがない情報だ。
何ができないかという現状分析も大事だが、どうしたら理解が進むかを考えるのも一つの方法なのだと思う。
一つの項目を学習してゆく場合、小さな中間目標をつくり達成していくといい。
もちろん、何度復習を欠かせない。
繰り返しは、無意識にパターン化されて、そのスキルをいつでも引き出すことができる。
自分にとっての学習は、これからも続いてゆく。
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