2012/02/04

渡辺 謙タボス会議でのスピーチ。

 
Posted by Picasa
スイス東部のリゾート地で25日始まった世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で、俳優の渡辺謙さん(52)がスピーチした。東日本大震災の被災地を自ら歩き、約3千人の被災者と話した経験から「絆」の大切さを強調した。


初めまして、俳優をしております 。
渡辺謙と申します。  
まず、昨年の大震災の折に、
多くのサポート、メッセージを頂いたこと、
本当にありがとうございます。
皆さんからの力を私たちの勇気に変えて
前に進んで行こうと思っています。
 
私はさまざまな作品の「役」を通して、
これまでいろんな時代を生きて来ました。

日本の1000年前の貴族、500年前の武将、
そして数々の侍たち。
さらには近代の軍人や一般の町人たちも。

その時代にはその時代の価値観があり、
人々の生き方も変化してきました。
役を作るために日本の歴史を学ぶことで、
様々なことを知りました。
ただ、時にはインカ帝国の最後の
皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。
 
その中で、私が最も好きな時代が明治です。
19世紀末の日本。
そう、映画「ラストサムライ」の時代です。

260年という長きにわたって国を閉じ、
外国との接触を避けて来た日本が、
国を開いた頃の話です。
その頃の日本は貧しかった。

封建主義が人々を支配し、民主主義などと
いうものは皆目存在しませんでした。
人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。
私は教科書でそう教わりました。  

しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが
書いた文章にはこう書いてあります。

人々はすべからく貧しく、
汚れた着物を着、家もみすぼらしい。
しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、​
老人は皆に見守られながら暮らしている。
世界中でこんなに幸福に
満ちあふれた国は見たことがないと。  

それから日本には様々なことが起こりました。
長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から
新しい日本を築く時代に移りました。  

私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていた頃、
1959年に農村で、
教師の次男坊として産まれました。

まだ蒸気機関車が走り、
学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。

冬は雪に閉じ込められ、
決して豊かな暮らしではなかった気がします。

しかし私が俳優と言う仕事を始めた頃から、
今までの三十年あまり、社会は激変しました。

携帯電話、インターネット、本当に子供の頃の
SF小説のような暮らしが当たり前のように
できるようになりました。
物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。
文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。

そして映画は飛び出すようにも
なってしまったのです。  
そんな時代に、私たちは大地震を経験たのです。

それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、
多くの命を飲み込み、
生活のすべてを流し去ってしまいました。

電気は途絶え、
携帯電話やインターネットもつながらず、
人は行き場を失いました。

そこに何が残っていたか。
何も持たない人間でした。
しかし人が人を救い、支え、
寄り添う行為がありました。
それはどんな世代や職業や地位の
違いも必要なかったのです。

それは私たちが持っていた
『絆』という文化だったのです。  
『絆』、漢字では半分の糸と書きます。
半分の糸がどこかの誰かと
つながっているという意味です。

困っている人がいれば助ける。​
おなかがすいている人がいれば分け合う。
【人として当たり前の行為】です。

そこにはそれまでの歴史や国境すら
存在しませんでした。
多くの外国から支援者がやって来てくれました。
『絆』は世界ともつながっていたのです。

人と人が運命的で強く、でもさりげなく
つながって行く『絆』は、
すべてが流されてしまった荒野に
残された光だったのです。  

いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、
その『絆』を頼りに前進しようともがいています。  

国は栄えて行くべきだ、
経済や文明は発展していくべきだ、
人は​進化して行くべきだ。
私たちはそうして前へ前へ進み、
上を見上げて来ました。

しかし度を超えた成長は無理を呼びます。
日本には「足るを知る」という言葉があります。
自分に必要な物を知っていると言う意味です。

人間が一人生きて行く為の物質は
そんなに多くないはずです。
こんなに電気に頼らなくても
人間は生きて行けるはずです。

「原子力」という、人間が最後まで
コントロールできない物質に
頼って生きて行く恐怖を味わった今、
再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、
子供たちに未来を手渡すことは
かなわないと感じています。  

私たちはもっとシンプルでつつましい、
新しい「幸福」というものを
創造する力があると信じています。

がれきの荒野を見た私たちだからこそ、
今までと違う「新しい日本」を
作りたいと切に願っているのです。
今あるものを捨て、
今までやって来たことを変えるのは
大きな痛みと勇気が必要です。

しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。
心から笑いながら、
支え合いながら生きて行く日本を、
皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。
そして​この『絆』を世界の皆さまとも
つないで行きたいと思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・
会合の最後には、
宮沢賢治作「雨ニモマケズ」を英語で朗読したそうです。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

コメント>>

「原子力はいらない。」そう、はっきり言えるメディアはどれだけあるのだろうか?
このスピーチが報道されたのは、東京新聞のみだったそうで、メディアは広告主の顔色をうかがいながら記事を書いていることが分かる。
原子炉再稼働について、賛成の町村があるそうだが、「ふざけるな!」と私はいいたい。

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