日記。もしくは備忘録としてのブログ。
思い返せば、父がこれらはインターネットの時代だといい
タイピングもできないのに、ヤマダ電機で
富士通のデスクトップパソコンと周辺機器を買ってきた。
私は当時二年間お友達の仕事のマネージャーとして勤務し、サポートを終え頃だった。
私の実家の商売は、商店街の洋品店。
古臭いおばさんを対象とするお店を営んでいた。
震災前はそこそこ売れていたが、この先どんな方向性でいけばいいか悩んでい田頃だった。
私のやってみたいことの一つに、ブログを書いてみたいという野望があった。
ブログをやるなら、GoogleにしようとBloggerに挑戦した。
一般的なブログは、宣伝がはいったりするそうでそのような表示がないのがBloggerを選んだ理由だ。
メールの送り方も知らない、Youtubeのサービスは無料なのは有名だが、私はいつ請求が来るかハラハラしていた。
インターネットとは何か?
写真をブログにのせるにはどうしたらいいか、真剣に悩んだ。
ほぼ毎日パソコンと格闘する日々。
まさに、夢中担っていたころだ。
自分の考えを文字にする。
自分の興味のあることを多くの人に知らせる。
自己顕示欲の強い私には格好の活躍の場だった。
誰も真剣に読まないとは知らず、私は調子に乗ってあらゆる情報 記事を投稿した。
Bloggerは投稿すると、毎日どのくらいの方が閲覧したかを知らせてくれる。
閲覧数が上がることが、私の楽しみとなった。
そのあと動画投稿や、他のテーマでもブログを作ったが結局途中でやめてしまった。
TwitterなどSNSもどんどんつぶやいた。
Twitterは、呟くことがほぼ一方的な発信で、他の方にコメントしないと全く存在しないに等しいコンテンツだと3年経ってわかった。
そのごFacwebookやLINEがあるのを教わり、相互のコミュニュケの出来るSNSにシフトした。
この間、このBloggerの記事の内容は、魂のはいらない文章となった。
私は自分の感じたことを文字にすることが大好きなようで、いつかテーマに沿った本を出したいと思っている。
実は、私の祖父は何か小説みたいなものを書いていたらしい。
そのペンネームは、正幸だったそうで
男の子の初孫にはこのペンネームをつけようと考えていたそうだ。
商業出版だと、評価も高いそうだがネットでもiBooksなどを使い出版は可能だ。
いまクリエイティブな衝動が私を動かしている。
ミツロウワックスや周波数装置ハーモナイザー 有機肥料を使っての果物作り(先輩と共同開発)微生物EM活性液も少しずつ広がりを始めた。
いまは廃油石けんの製造を計画している。
ということで、ブログを読んだくださる方に
私の活動を見守ってもらうと記事を書く励みにもなる。
今度もワクワクどきどきするような記事の更新していきたいと考えている。
では、これからもよろしくお願いします。
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