2014/09/14
成功とは何か?
成功とは何か 私が抱いていた夢
幼いころ父は私にこんな話をしてくれた。
「人間は考えたことはすべて実現する。」という言葉を繰り返し私に聞かせた。
私は真に受けやすかったのだろう。 何の疑いもなくそれを受け入れた。
私は幼い時に、人に役立つような人間になりたいと考えていた。
たとえば世界をまたにかけるような事業で成功をおさめること。
もう一つは病で苦しむ人を救うことだった。非常に漠然とした夢だった。 その夢は今も変わっていない。
しかし、その糸口はどこにも見えなかった。
それを手に入れるには何をするか?
経済的な豊かさを手にしている人にあった。 しかしそれは見せかけの成功だったようだ。
人は自分を大きく見せようとする傾向がある。 それは、虚勢とか見栄というものだろうか?
人間は弱さがあるということを知った。 どんな状況になっても、謙虚さとか学ぶ姿勢が無くなった人に魅力を感じないようになった。
自由という制限のない世界 会社は自由を奪う一番の領域だ。
時間を制限され数字に追われる。大局的な目標がない理念なき企業は、時間とともに淘汰され始めている。
羅針盤のない会社という船は、多くの乗組員をのせて難破する運命にあるのだ。
自由を束縛されさらに彼らが知らない孤島にたどりつくのだ。 そこにオアシスはないことを後で知ることになる。
これは自分の進むべき道を、他人にゆだねたために起きた悲劇である。
人は、さまざまな領域で制限を受けている。 普段私たちは、なんの疑問も持たずに仕事にでかける。
多く人は今の仕事で矛盾を感じるが、仕事をこなせばお金がもらえるという理由で、少々のことは我慢し多くの時間を会社で過ごすのだ。
心が伴っていない仕事は、拷問に近いという見方もできるだろう。
このようなことを続けて行くと、彼らは気が変になるのではないかと思う時もある。
同意のないトップダウンの指示命令は、戦国時代や軍隊を連想させる。
経済活動は武器さえ持たないが、お金を奪い会うような形に変わっただけかもしれない。
幸せの目に見えない資産
幸せは個人的な感じ方でさまざまなに変化する不思議な概念だ。
うまくいかないことに不満を漏らし、うまくいったら有頂天になる。
私たちの目の前に起きる出来事は、すべてメッツセージがあるという考え方がある。 起きることずべ手に意味があるのだ。
不満や不平を信仰している人にとっては運が悪いと感じるだろうし、理想をいだいている人にとってはチャンスだととらえるかもしれない。
もしこれが本当なら、どっちを選んだら楽かわかりそうなものだけれど。
人間万事塞翁が馬ということなのだろう。
目先の損得は、人の心を貧しくさせる。 人は取引が平等でないと、相手に不満を持つ生き物のようだ。
盲目と偏見いう名の罠
私たちは多くの偏見がある。 目的はお金儲けだと、大変な過失を犯す。
たとえば、病気を治せると思いこんで患者が医者にかかる。 医者はお金儲けのために、完治させず薬などで患者からお金を巻き上げる。
このような事実は、矛盾は感じながらも両方が方法が見つからないでいる。
わからないのではない。知恵が足りないのだ。
どんな人にも思い込みや、自己の利益に走る。
これらを総称すれば、固定概念や偏見ということになるだろうか?
時間は刻々と過ぎるから、同じようなことでも同じでないことが分かる。 ソクラテスの洞窟のたとえではないが、わたしたちは洞窟で椅子に縛られ、壁だけを見るように強制されている様だ。
思想やアイデンティティは、国境や宗教観の争いを引き起こしてしまった。
戦争を起こし、力でねじ伏せる。 歴史は繰り返すが、私たちは徐々にその過失に気がづき始めつつある
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— rjcadd20@gmail.com (@masayuki46) May 30, 2020
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