2010/02/18

塩谷式正心調息法

塩谷式正心調息法(前著『健康・長寿と安楽詩』より抜粋)


この呼吸法は正心と調息との二面から成っている。正心を裏とし、調息を表とする。


正心  一口で言えば、心の正しい使い方である。心の正しい使い方は沢山ある。

その中から三つ選んである。そしてこれは日常茶飯時の心の持ち方とも言える。

(1)物事をすべて前向きに考える。

二者択一という場合は積極性のある方を採る。したがって行動も積極的となる。

その結果失敗に終わった場合も決して悔いない。必ずそこには教訓が落ちている。将来のためになる種がこぼれている。

(2)感謝を忘れない

この心掛を持っておれば身の周りには、感謝することが当然なことが沢山ある。

初めはさほどに思わないことでも、感謝の癖がつくと、ああ有難いなと心から感謝するようになる。

すると感謝したくなるようなことが起こり勝ちになる。

その心の波長に合ったことが自然と起こることになっているからである。

また波長に合ったものが集まるようになっている。

いいこと、嬉しいこと、為になること、健康も長寿も当然その中に入る。

心の法則から言えば、笑う門には福来るというのは至言である。

(3)愚痴をこぼさない  


愚痴をこぼしてよいことは一つもない。

愚痴っぽい人には愚痴らずにはおられないような困ったことが起こりやすい。

厭なこと、損になること、病気や怪我もそうである。

心にしまってクョクョするよりも口に出した方がセイセイしてよいと言うことはある。

この時はグチュグチュこぼすのでなく、朗らかに大きな声で笑いとばすような調子で話す方がよい。

一度吐き出したらそれっきりもう忘れてしまうことである。

ちょうどいい機会だから次のように自分に言って聞かせることである。

人生に無駄は無いと、繰り返し言って聞かせる。

調息法  これは一種の腹式呼吸法である。

(1)姿勢


背筋を真直ぐに伸ばして座る。肘を直角に曲げて両手を組む。

円い玉を両手で包むように組む。これを鈴の印と言う。

両眼を軽く閉じる。座り方は正座、椅座、扶座(あぐら)、どれでもよい。

また体の弱い人、老衰している人、病気で寝ている人等は仰臥でもよい。

この時は両手は離して、体の両側に伸ばし、掌を下に向けて、床面につけておいてもよい。

椅座の時に背を背もたれにもたせかけない。また両肘を肚掛にのせない。

扶座の時は、座布団を二つ折りにして尻の下にいれるとよい。



(2)息法(呼吸法)

吸息、充息、吐息、小息、静息、とわかれる。

吸息(息を吸い込む)
鼻から静かに息を吸い込む。

肺の下部(肺底)に充分吸い込む。普通深呼吸をする時は胸の上部に吸い込むが、これでは肺一杯に吸い込んだつもりでも、肺の上部は一杯になるが下部には充分満ち渡らない

。肺は上部より下部の方が広く、空気が沢山入るようになっている。

充息(息を止めて下腹部に力を入れる)

充分吸い込んだ息を下腹(丹田)にウーンと押し下げる。

肛門をキユーッと閉める。丹田に力を込めたままちょっとの間息を止める。

息を止めている時間は人によって色いろでよい。数秒ないし十秒、苦しくない程度に我慢する。

吐息(息を吐き出す)

鼻から静かに息を吐きだす。腹の力を抜いて凹ます。

充分に吐き切って小息に移る。

小息(普通の息)

普通の呼吸を一つする。

以上で一呼吸終わった訳であるが、これを二十五回繰り返す。

静息(静かに普通の呼吸をする。)

二十五回終ったら、丹田に軽く力をこめたまま、静かにゆっくりと普通の呼吸を十回する。
これで一回の実修を終る。

塩谷式正心調息法の特徴はこの呼吸の際に、想念と内観を行なうことにある。

想念(心の力を使う)
吸息の間、字宙の無限力が丹田に収められた。

そして全身に満ち渡った、と心の中で念ずる。
充息の間、全身が全く健康になったと念ずる。

何か治したい病気があれば、その病気が治ったと念ずる。一つの病気を五回ずつ合計五つの病気を念ずる。

治したい病気が五つなければ、治したい病気を念じてから、そのうちの特に治したい病気をまた念じる。

治したい病気が一つも無ければ「健康になった」を二十五回繰り返す。

吐息の間、息を静かに吐きだしながら、体内の老廃物が悉く吐き注されて全身はきれいになった。

芯から若返ったと念ずる。若い人は若返ったと念じない。全身がきれいになったとだけを繰りかえせばよい。

静息の間、想念を発しなくともよい。頑固な難病を持っている人は、その病気が治ったと繰り返してもよい。

または自分で公案を作ってこれを念じてもよい。例えば「自分は大宇宙と一体になった」とか、「人類愛に燃えている」とか「短気が治った」とか、色いろ自分で工夫してもよい。

何も考えないでいわゆる無念夢想の境地に入ることを目指してもよい。自分の自由時間であるからどう使ってもよい。この息法に慣れてくると、心がすっかり落ち着いて、いい気持ちになる。精神が透徹したようになる。



またドッシリ落ち着いて、何事が起こってもビクともしないような、肝っ玉がすっかり坐ったような感じになったりする。人それぞれ色いろな心境になりうる。その時は気の済むまでやってよい。


以上で終わりであるが、一言つけ加えておきたいことがある。ここで使っている正心は心の正しい使い方であるが、正しい心という文字通りの意味もあるのである。


正心調息法は、姿勢を正しくするように述べてあるが、心の持ち方を正しくすることももちろんである。これは呼吸法を云々する以前の問題である。

それから二十五回やれない人がある。途中で疲れる人、飽きる人、苦しくなる人、そういう人は途中でやめてよい。

そして間を置いてまた続けてよい。

全部合わせて二十五回になればよい。また老人も疲れやすから適当に分けてやってよい。

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