
本の表紙を見ただけで、視野にも入らないときがある。
求めていなければ、自分には関係ないと心を閉じる。
実際に本を開いて、眺める人もおおい。
私もそうだ。見るだけで経験してみないのだ。
表紙見たことが、知っているという判断だ。
経験を通じて理解し、選び取るかを、自分で判断すればいい。
私たちはテレビというメディアにすっかり魂を抜かれてしまったようだ。
テレビもバーチャルな世界。テレビの中に入ってゆくことはできない。
現代人は人の行動について、意見を述べる。
しかし視点を変えて、自分が相手にどうみえているか?
自分自身が自分のことをどう感じるかを、あまり観察はしない。
鏡でもなければ自分の姿を、映し出すことはできない。
自分の心の目を開くのは、なかなか難しい。
過去の適正化で、大人になれば失敗しないように用心深くなる。
私は何でも知りたがる。以前はそうではなかった。
自分の「何で」が解明されないときがすまない。
ある博士が図書館に行った。
その方は図書館の職員に質問した。「自分の取扱説明書」についての本はありませんかと?」。
その答えはないという返事だった。
自動車やカメラのマニュアルは存在するの。しかし自分自身をコントロールするすべを、Principleとして書いた本はその当時存在しなかった。
脳機能科学が認知されだしたのは、ごく最近のことだ。
その方は優秀な科学者であった。
自分という人間ほど不可解でおもしろいにのはないと感じたのだろうか?
コピー機が故障し、修理を依頼されていたが先送りしていた。
私の改善すべき点である。やらない理由を考えるのは、Creative Aboidanceといい、普通のことなのだそうだ。
おまけにi Phoneのバッテリーも弱くなり、USBコードも切れてしまっていた。
修理しなければならない。不自由さを感じているのに、何でひとは考えたことをすぐに行動に移せないのだろか?

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