
Googleのトップ画面は通常、何にもない。
中央に検索画面がでてくるだけだ。
Googleのもう一つの隠された画面が、i Googleだ。
この画面に入るには、Googleの右上にあるi Googleのマークをクリックする。
サンプル画面が表示されて、gmailやGoogle Docのプレゼンテーションなどを自由にカスタマイズできる。
Googleは,新しいインターネットの形である。
個人が使いやすいように作ってあるよう感じる。そして、毎月新しい提案があり、サービス自体進化しているのだ。
私にとってGoogleは、絵の具ようなもだと感じている。
パソコンの前で、Googleの絵具を混ぜ合わせると、様々な色を見せてくれる。
そもそもパソコンは何のためにあるのか?
目的がはっきりしないままインタネットを開毛羽時間はあっという間にすぎる。
人生という画用紙に夢を書く、「どんな人物にあこがれるとか、自分は地域に何ができるか。」
どうしたいか、何をしたらわくわくするかは自分で決める必要がある。
様々な情報が行き交う中、経済の仕組みや、個人の価値観は大きく変わっている気がする。
何が正しくて何が間違っているかという視点は、主観というフィルターがかかったものだ。
起きること、あった事柄はすべて真実である。
「原理や真実」と「それについてどう思うのか」は、全く別の次元というのが私の考えだ。
私自身新聞やテレビに一切目を通さない。
なぜかというと、大半が問題点の提起だからだ。
文責というものがある。実際のところあるようでないのが文責だ。
文責は視聴率や、どれだけ読者を注目させられるかが基準なのだと思う。
すべとはいわないが、新聞やテレビの情報は、意図されているとおもう。
普通の出来事では記事にならない。
注目やインパクトがあることが優先され、記事や取材の対象になっている。
真実を真実のまま、客観的な報道はかなり難しい。広告主がおかねをだしているからなのか?
先日新聞記者の方とお話をして、媒体やメディアは歪んが世界と感じた。
巷にある意見や情報は、「真実」と「結構いい加減な情報」が混ざりこんでいる気がする。
私自身視野を広げて、おきていることを確かめたいのに、情報は選別され、フィルターにかけられる。
少しずつ知らないことをしれば、私自身何にも知らないと感じてしまう。
人々の思考や出来事は刻々変化するからである。

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