2011/06/02

災害ボランティア in 東松島市



瓦礫の撤去に以前参加したことがある。

私自身、ボランティアというものをしたことがなかった。

私は東松島の瓦礫に撤去のお手伝いをした。

この私のボランティアをするようになったのには、あるきっかけがある。

おじは群馬から約2週間、津波によって甚大な被害をもたらした、宮城の気仙沼と岩手の三陸高田の災害復旧に参加していた。

物資の拠点は伊達市の保原町にある。

その拠点には、ミネラルウォーターや衣類、食料などが、全国から暖かい支援の物資がたくさん届けられていた。

おじはその物資をトラックで物資をとラックに積み込み岩手の拠点に運んだ。その後、おじはトラックを返却するために保原町を訪れた。

おじは岩手に戻る必要があり、車で送ってほしいと私に依頼した。

私はおじを車にのせ、江刺の拠点を経由、大船渡市>>三陸高田>>気仙沼>>の被災地を見せてもらった。

特に三陸高田市は言葉にならならないくらい、津波の被害によって広い範囲にわたり町全体が破壊されていた。

津波は4階建ての建物の高さまでおよび、私はその津波恐ろしさを五感に刻み込んだ。

印象深かったのは、気仙沼で事務機を扱うオーナーさんにお話を聞いた時だった。

地震によって発生した津波は、天井の高さまで海水が建物に押しよせ、店舗にはふかひれやゴミなど町中のありとあらゆるものが流れ込んだ。

オーナーさんのお話によれば、店舗のコピー機などは水没し、店舗の商品のノートや事務機は水面に浮かんでいいたという。

オーナーさんはどこから手をつけたらいいかわからなかったそうだ。その心中を推しはかると、深い悲しみと不安とでいっぱいだったと思う。

当時、その店舗での商売の再会は、そのめどすらついていなかった。

おじは災害派遣でチームを組み、その店舗の復旧にあたった。

みんなで力を合わせゴミが散乱した店舗をかたずけた。

私とおじは、そのきれいにかたずけられた店舗にお伺いした。

その事務機のオーナーさんは、綺麗にかたずけられていた店舗で私たちを迎えてくれた。

おじさんはオーナーさんとお話をしはじめたが、オーナーさんは終始感極まっていていた様子だった。

そのオーナーさんは、ボランティアの協力で津波の被害によってめちゃくちゃになった店舗が綺麗になってゆく様子が思い出されたのだと思う。

誰かのために何かをすることは、相手をどんな気持ちにさせるのかを感じることができた。

それがきっかけで、私は東松島のボランティアをすることを決めた。

東松島の被害になった方は、自宅がきれいになり住めるようになったら、私たちを招待してお祝いをしたいと希望を語ってくれた。

日本は被災された方の思いをくみとりながら、今のなお被災地で過酷な作業をしている方がたくさんいる。

私は,日本人としてそういった皆さんの行動を誇りに思う。

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