私が生まれたときのことを親に聞いた。私が母親の体のなかにいる時に、父や母は私の誕生を心待ちにしていた。
3人目は男の跡継ぎがほしいという、そんな希望が私の家族にあった。
祖父はもし男の子が誕生したら、どうしてもつけたい名前があった。
おじいさんは趣味で小説のようなものを書いていたそうだ。
おじいさんは趣味で小説のようなものを書いていたそうだ。
その小説の最後に必ず書きとめるペンネームがあった。
私は生まれる前から名前が決まっていたことになる。
私はそのペンネームをいただいた。
私は自分の名前をとても気に入っている。
私は自分の名前をとても気に入っている。
祖父は私が誕生したとき、どんな感じだったと母に質問した。
祖父ははあまり喜怒哀楽を表現しない人だったが、私の誕生は祖父にとってはとてももうれしい出来事だったそうだ。
幼稚園に行く際、私は小さな抵抗を示した。
私は幼稚園に行くのがいやだと、駄々をこねた。
私は幼稚園に行くのがいやだと、駄々をこねた。
そんな時に祖父は、私の手を取り幼稚園の手前の橋まで見送ってくれた。
橋をわたらなければ、幼稚園へはたどり着けない。
今考えれば、祖父は小さな私に自分の意思で行動が決定できるように考え、最後まで見送らなかったのかもしれない。
おそらく祖父は小さな私に「自立」ということを教えようとしていたのではないかとも思う。
おそらく祖父は小さな私に「自立」ということを教えようとしていたのではないかとも思う。
人の心や思いを察知する感覚は、小さな頃、いや大人になっても鈍感な私だ。
視点をおじいさんや幼稚園の通学路の橋に視点を移し、想像上で再現する。
そういった客観的視点にたてればいかに自分が身勝手な行動を取ってきたかがわかる。
すべての心の平安は家庭から生まれ、人格の土台となるという人がいる。
なるほど、その通りだ。ビジネスで成功を収めても、家族を犠牲にしている場合本当に意味での有意義な人生とはいえないかもしれない。
幸せを語る人がいるが、実際に幸せはどんなものかを知っている人はいないという人もいる。
もしかしたら真の意味での幸せはどんなところのも存在しるのではないか?
自分自身の考え方や世の中の仕組みを理解すれば、本当は私たちは素晴らしい世界に生きていることに気がつく。
自分自身の考え方や世の中の仕組みを理解すれば、本当は私たちは素晴らしい世界に生きていることに気がつく。
家族や家族というのは、世の中に出て貢献や奉仕の練習の場という人もいる。
他人は踏み入れられない、親子関係。
その親子関係を円滑にしていくためには、自らの努力だ必要だ。
その親子関係を円滑にしていくためには、自らの努力だ必要だ。
自分を振り返り、小さな内省を繰り返すことができれば、家庭にいい空気が流れ出す。
そして朝、いつも以上に家族に元気に挨拶をすることができる。
そして朝、いつも以上に家族に元気に挨拶をすることができる。
小さい頃から自分を見てくれている存在に気がつくことができれば、安心でき心を開くことができる。
誕生から現在までの私の行動と考えが録画している定点カメラがもしあるとすれば、恐らくだだらのない身勝手な自分が映し出されることだろう。
そんな自分を許し、育て、励ましてくれる両親は本当にありがたい存在に思えてくる。
素晴らしい!思う気持ちは伝わる。天は何時も、そっと、気付かれないように見守っていると信じてます。
返信削除保原の鈴木孝子さんに訃報のfaxを持参しました。奥様の実家が香雲堂と言ってました。香雲堂の社長、他と妻と私は昨年、北海道でゴルフが一緒で、いろいろと歓談しました。合掌。