2013/03/21

怒りという感情。

この感情。

自分の思いどうりにならないか、自分を否定されたときに起きる。

人は年を重ねていけばいくほど、自分を守り客観的な意見を受け入れられないのだそうだ。

社会にでれば、しかられることは少ないし、仮に誰かに意見されたとしても自己防衛をして、その情報を保護にする。「

肉体の耳の筋肉は無意識に萎縮し、音として認識させない構造になっている。

人間は成長したいと思う反面、今にとどまりたいと考える。

望むことが可能なヒントがあるにもかかわらず、人に意見や情報に対して疎い。

これは、本能的なものらしい。

自分を変える可能性のある、未知なる物。

その未知なる情報について、脳は次のように判断する。

知らない情報が感知した場合>>脳内では警報がなる。

その警報は情報に対して、自動的に自己防衛のプログラムが働く。

そのプログラムは>その情報を自分の固定観念や相手抱く個人的感情を盾にに自分勝手な理由で違う情報に変換してしまう。

自分と同じ人間はいないのだが、自分を受け入れてくれる人がいるのではないかという幻想をいだく。

その幻想はいつまでたっても、かなえられることはない。

そして人は、不信感や否定的な感情を抱くようになる。

まったく知らない人に対して、好意的な感情を持つことはかなり難しい作業だ。

社会が混沌とすればするほど、不信感やネガティブな感情がはびこる。

この混沌とした社会かえ、次世代に受け継がれる文化をつくるには、

個人がどれがけ相手を受け入れ、有益な情報を学びあっていくかということにかかっている気がする。

だから、いつも心を穏やかにしていなければならない。

とくに、ごく少数の学ぼうとしない、行動を起こさない大人は、存在意義がないのではないかとさえおもう。

怒りという感情が起きる理由はさまざまだが、幼少時代にのこるつらい経験に起因するといわれてる。

無意識のイライラは、目の前で起きる事柄にそのフィルターをかける。

イライラを思うと、それが現象化してしまう理由は、自分の心の深いところにその感情が内在しているからだ。

この感情から抜け出せない限り、自分の変革は起こせない。

私たちに必要なことは心を鎮め、毎日を静かに過ごすことかもしれない。



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